カウンセラーに依存しすぎない

カウンセラーは自分の心を探求するための「案内人」にすぎません。あくまでも自分の心は自分のものです。ですから、自分の心の面倒は最後まで自分で見るしかないのです。誰かが自分の心をほぐしてくれるわけではなく、その「手伝い」をしてくれるだけなのです。

さまざまなことで私たちの心は傷つきます。すれ違いざま、見知らぬ人に笑われるだけでも傷つくのです。ですが、それは「笑われた」のではないかもしれません。全然こちらのことなどは見ていなかったのかもしれません。それでも傷ついてしまうのは、自分が「笑われたと感じた」からです。「実際どうだったか」ということよりも、自分がどう感じたかということで私たちは傷ついたり喜んだりするのです。

楽しい、嬉しい、悲しい、何も感じない。それぞれ自分の価値観でしかないのです。私たちは相対的でありりながら、絶対的でもあります。協調するようでいて、自分が「そうしたいから」そうするのです。「人を助けたい」と考えているから「人を助ける」のです。「働かなければいけない」と考えているから「働く」のです。すべては自分が決めていることです。「強制された」ということであっても、最終的に動くのは自分の意志です。その強制に屈するのか、それとも理不尽なことには立ち向かうのか、それは私たちの「意志」次第なのです。

すべて受動的、すべて誰かのせい、すべて自分は悪くないと考えたいものです。それが一番楽です。理不尽な環境におかれるのも、自分が傷つくのも、すべては「誰かのせい」、「何かのせい」と考えることは、実は「楽」なのです。同じような境遇であっても決して屈しない人もいます。決して折れない人もいます。そのような人と自分の何が違うのか、自分がおかしいのか、それともその人がおかしいのか、そんなことは「わからない」のです。

自分が自分でいるためには、自分が自分として、誰に対しても誇れるような、胸を張れるような生き方をするためには、どうしたらいいのでしょうか。答えはあるのでしょうか。誰かがそれを教えてくれたら、こんなに楽なことはないのです。ですが、実際は絶対に誰も答えを教えてはくれません。誰もわからないからです。自分のことですらわからないのに、人のことがわかるわけがないのです。私たちはそれでも「生きていく」必要があるのです。言い換えれば、生きるということはそういうことなのかもしれません。

「何も感じない」ような人間になりたいと考えるかもしれません。ですが、それは「無理」です。人である以上、さまざまなことを考えます。さまざまなことを感じるのです。それが人間だからです。それが私たちだからです。そして、自分のことに対して100パーセントの答えなど、誰も持っていないのです。私たちは、死ぬまで悩み続けるのです。それが人間として生まれた宿命です。それが人間として生きている証です。さまざまな人と関わりながら、さまざまな人に悩まされながら、迷いながら、生きていくのです。カウンセラーはナビゲーターです。自分の人生をハンドリングするのは自分です。自分の心は、自分のものなのです。だからカウンセラーに頼りすぎてはいけないのです。

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