トラウマとは何か

「トラウマ」とは、過去の経験が自分にとっての「禁忌」として残り続けることです。それがフラッシュバックするような出来事や表現などを避けずにはいらないような「記憶」です。

それは人によってことなります。「何が怖いか」は人によって違うからです。人はそれぞれみんな別々の人生を歩んでいます。自分にしか見えないこと、自分にしかわからないことが沢山あるのです。それは決して他人には理解できないようなことであるかもしれません。それぞれ経験してきたことも違えば、人と交わしてきた会話も違います。そして「考えてきたこと」も違うものです。私たちはそのようにして「自分」を作り上げていくのです。自分しか経験したことのないこと、同じ物事でも自分なりの解釈を続けることで、「唯一無二の自分」を作り上げるのです。

私たちは経験することで学びます。人に対して「言っていいこと、やっていいこと」も、幼少期に集団行動を重ねる中で学びます。社会に出てからもそれは変わりません。自分が自分でいられるために学ぶことを繰り返し、より良い「自分」を作るために尽力しているものなのです。それは難しいことではありません。「昨日ここで転んだから気をつけよう」とか、「この服装では風が吹くと寒かったな」などというシンプルなことも含まれるのです。それらは「経験」することでわかることです。日々の自分の取り組みが、明日の自分を創りあげているということです。

それらの「経験」のなかでも度し難い恐怖や不快感を伴うものもあるものです。それは記憶の中で鮮明に残り、自分の中でどうしようもないほど消化しきれないものになって、いわば「しこり」のようなものになって残るのです。それは「二度と経験したくない」といったものでもあるかもしれません。そのようなものが「トラウマ」です。それは誰もが持つようなものではなく、不運にも経験してしまった凄惨な出来事や、思い出したくもないことであるものです。

そのトラウマがその後の人生を左右するようなこともあります。人にひどいことをされたことがトラウマとして残ってしまい、他者と接することに恐怖感を覚えたり、自分が考えたことで悲劇を招いたことがある場合はもう何かを考えるのが嫌になってしまったり、それは人によってさまざまです。他の人が理解できないようなことがトラウマになる場合もあるでしょう。そのようにして形成された「禁忌」によって、長く苦しめられることもあります。

その解消方法は人によって、ケースによって異なります。一部はPTSDという言葉によって表わされる事例であるかもしれません。私たちは基本に「血」を見るのは嫌なものです。それは自分の血でも他人の血でも同じです。ですが何かの事件、事故でそれを多く見てしまうなど、心に「傷」を負ってしまうことがあるかもしれません。そのようなときにその光景が「トラウマ」として残ってしまうのです。

それは理屈では取り除くことができません。カウンセリングを重ねることで、少しずつほぐしていくものでもあります。自分が背負っているトラウマが日常生活に支障をきたすようなものである場合、それは何らかのカタチで取り除かなければ健全な生活が送れなくなってしまうかもしれません。

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